新しい事態に対する洞察を加えたり、例外的な事態や非常時において
決断したり指導したりすることにある。
だそうだε=(♉ฺ。♉ฺ)
シュンペーターの言葉では、
「指導者はそれ自身、新しい可能性を「発見」したり「創造」したりしない。
新しい可能性はいつでも存在し、人々によってその日常の職業労働の
過程において豊富に蓄積されており、またしばしば広く知られており・・・・・・
指導者機能とはこれらのもの(新しい可能性)を生きたもの、実在的なものにし、
これを遂行することである。・・・・・・瞬間的なー火災を起こした船舶の例によって
示されるようなー指導者活動の場合にも、・・・・・単に模範を示すことによって
影響を及ぼすような指導者活動にもあてはまる。たとえば、原始的な軍事的
指導者活動、次いで主として芸術あるいは科学の領域における指導者活動、
また部分的には現代企業者の指導者活動がこれに属する」
(「経済発展の理論」上巻)
また利潤については、
「われわれの経済主体(企業者)の貢献したことはなんであろうか。それは
意志と行為のみであって、具体的な財貨を貢献したものではない。・・・・・・
彼らの成し遂げたことはなんであろうか。何らかの財貨を貢献したのではない。
・・・・・本源的生産手段を想像したのでもない。現存の生産手段の用途を変更し、
これを一層適切に、一層有利にしようしたのである。・・・・・・いかなる債務とも
対応しない彼らの利得、すなわちこの余剰こそが企業者利潤である。」
(「経済発展の理論」下巻)
最初の議論で注意すべき点は、企業家は創造しないことになっているが、すぐ
そのあとの部分で企業家は新しいことの創造に携わるものとされている。
シュンペーターの企業家=指導者は、意志、行為、影響力といった政治的
概念の系列に属する。
また、利潤が企業家の創造に対する対価でないとすると、利潤の根拠は?
あったま痛くなってきたので、、これにて閉店ガラガラ、、、
一度じっくりと読んでみたい。っていうか教えてもらいたい。
っていうか語ってもらいたい。